奴良組百記夜考

ぬらりひょんの孫(原作・椎橋寛)に関する色々を綴っています。本誌の感想を中心に、同人色(意味の分からない人は出入り禁止)たっぷりのおバカ妄想あり、超!真面目な考察あり。たまーに小説もあり。テキスト大増量中。メガボリュームでお届けします。





せっかくなので全部並べてみました(右上はイラスト集「妖絵巻」)。百鬼夜行絵巻~v 購入者のレビューとか結構楽しいです。

安倍家の真実

調べものしてたら、偶然見つけました。
史実です。
ぬら孫版安倍家(御門院)の年表と併せてお楽しみ下さい。


晴明(921-1005)の息子の名前は、本当に吉平(954-1026)でした。
なお、吉平は長男で、晴明の子は他に、
吉昌(955-1019)という名前の次男がいました。

吉平の息子が時親で、その息子が有行で、その息子が泰長(1068-1121)。

有弘(1325年若狭へ下向)
長親(1335年若狭へ下向)
泰世(1373年中納言になる)
も実在の人物です。

安倍家は1562年から正式に「土御門」と名乗るようになりました。


名前とか、結構史実とリンクしてる部分が多くて、ただただ感服です。
さすがに、オロチなんて人はいなかったけど(笑)。


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御門院年表

初代 安倍晴明
二代目 安倍吉平
三代目 安倍雄呂血(1185~1333)1185鎌倉幕府成立/1333鎌倉幕府滅亡
四代目 安倍有行(1334~1392)1334建武の新政/1392南北朝合一
五代目 御門院泰長(1393~1477)1467-77応仁の乱
六代目 御門院心結心結(1477~1568)1568織田信長上洛
七代目 御門院天海(1569~1643)1641鎖国
八代目 御門院泰忠(1644~1852)1644明が滅亡・清建国
九代目 御門院水蛭子(1853~1867)1853ペリー来航/1867大政奉還
十代目 御門院有弘
十一代目 御門院長親(1927~1945)1926大正天皇崩御/1945第二次世界大戦終戦

御門院歴代当主の変遷を整理してみました。
()内は当主在位期間です。
御門院当主は、歴史の変動時に交代することが多いので、
当主交代時期に起きた、日本史上の大きな事件を併記してみました。

晴明と吉平の在位期間は分かりませんが、史実によると、
安倍晴明の存命期間は921~1005となっています。
なので、ぬら孫の設定も、大体その辺を踏襲していると思われます。
恐らく晴明は、生涯現役、死ぬまで当主で、
晴明の死とともに、息子の吉平が二代目を継いだのでしょう。
有弘も在位期間の記述がありませんが、
前後が分かっているので問題なし。

鎌倉幕府の成立は、以前は、源頼朝が征夷大将軍に任命された
1192年とされていましたが、
現在では、全国に守護・地頭を設置し、実質的な支配体制が確立した
1185年となっています。
ちなみに、1185年は、壇ノ浦の戦いで平家が滅んだ年でもあります。
若い人にとっては常識なのかもしれませんが、
私は「いい国」世代なので、1185年と言われると違和感が・・・。
 ↑
トシがバレますぜ

泰長の退位は、応仁の乱終結の年ですが、
これは偶然ではないでしょうか。
当主としての役目を全うして、退位してから御門院家を去った
というより、在位中、一生懸命「御門院」の在り方を
一族に説き続けたけど、誰も耳を傾けてくれなかったので、
とうとう諦めて出奔、当主不在になってしまったので、
止む無く六代目を立てたってところじゃないかなと。

天界が退位した1643年は、日本では、
特に目立った事件はありませんでした。
近いところでは、1641年に鎖国が完成しています。
それと、日本ではありませんが、
中国で1644年に明が滅亡し、清が建国されました。
が、これはあまり関係なさそうです。
史実では、天界の没年は1643年ということになっています。
なので、これを引用して、1643年に退位し、
退位によって、表向きは死亡ということに
したのではないでしょうか。
でも、それだと、天海の生年は1536年説が有力なので
(天海は享年108歳と言われており、
もっと長生きだったという説もあります)、
歳をとってから当主になったという設定と
合わなくなってしまうので、何とも・・・。

ところで、十二代目以降の記述がないのですが、
現在(というか晴明復活時)は、
十二代目の治世だったのでしょうか。
でも、そもそも、当主の存在意義が謎です。
当主って、一番エライんでしょ?
最高決定権持ってるんでしょ?
でも、実際の作戦は全部吉平が指示して取り仕切っていました。
晴明の実子で、術に依らず、
自力で千年生き続けている人だから、
他の当主達とは格が違うんだろうけど。
それと、同じ「当主」といっても、
御門院より安倍性の方が格上扱いされている気がします。
まあ、安倍性は吉平を含めても3人しかいませんが。
時を経るに従って、晴明の血は薄れ、
妖怪が台頭する世の中でもなくなり、
「妖怪退治」という陰陽師の実力を発揮する実戦の場もなく、
「当主」の力は、代を重ねるごとに
弱くなっていったのではないでしょうか。
その状況下で、歴代当主達が、子孫を下に見ていたとしても
おかしくありません。
だったら、当主交代なんてしなきゃいいのに。
ずっと吉平が当主でいればいいじゃん。
でも、そこは、"表向き"国の中枢を守る役割を担う
陰陽師一族ということになっていますので、
権力者の交代に合わせて当主を変えるのは、
新しい権力者への忠誠を示すという
パフォーマンスだったのかもしれません。


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羽衣狐を鬼纏ったら

妖怪を鬼纏うと、服装が変わります。
逆に言うと、鬼纏は、身も心もひとつになる業なのに、
それだけ大変なことをやるにも関わらず、
変わるのは着物だけですか。
その方が不思議かも。

でも、羽衣狐を鬼纏った時は、明らかに姿が変わったよね。
顔に模様が浮き出たから、雰囲気が変わったように見えたとか、
そんな錯覚レベルじゃありません。
まあ、変わったというか、年取った成長したというのが適切かな。

もしかして、「あれ」は鬼纏じゃなかったの?
雪女も、「畏が体を包んでいる」と表現していたし。

晴明の永劫輪廻は、触れた部分を削り取るだけじゃなくて、
そこが傷口になって、どんどん畏が抜けていってしまう感じです。
だから、羽衣狐は、リクオの畏がこれ以上なくなるのを防ぐために、
自分の畏でリクオの体を包んだのではないかと。

畏というのは、恐らく、本来は、エネルギーとか気配というような、
形のない存在です。
妖怪は、畏の塊。
そこに自分が居るということを周りに知らしめるために、
普段は、畏を目に見える"物体"として具現化させているのです。

でも、畏で畏を包むとなると、形の固定されている物体では
使い勝手が悪いので、畏を本来の姿に戻した。
氷だと形を変えることができないから、溶かして水にした、みたいな。
ただ、実態のないもやもや状態になってしまうと、
風呂敷で荷物を包むような、明確な区別がなくなって、
リクオの畏と混ざり合ってしまって、結果的に、
鬼纏と似たような状態になっちゃったのかな、と。

で、羽衣狐の畏が加算された分、リクオのパワーが上がったわけです。
成長期の子供は、年齢が上がれば、パワーが上がります。
小学生より中学生の方が体力があるのは当然、という理論です。

いや、でも、
「鬼纏 襲色 黄金黒装鵺切丸」
っていってますけど、はっきりと。
それは、"結果的には"鬼纏と同じ現象になったってことで・・・。
ってゆーか、羽衣狐は半妖なんですよね。
人間の体に、妖怪が取り憑いている状態。
そもそも、自分が鬼纏をやっているようなものです。
・・・半妖って、鬼纏えるの?

いずれにせよ、羽衣狐との"融合"は、普通の鬼纏とは違う、
特別な現象だったんじゃないかな、という気がします。


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だって気になるんだもん

絶対に見てはいけません。
感動のラストが台無しになります。
それでも敢えて見るという方は、
くれぐれも自己責任でお願いします。

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山吹の古歌

七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき

ぬら孫のストーリー上、重要なキーワードとなった山吹の古歌は、
兼明親王の作とされ、『後拾遺和歌集』に収録されています。
が、この歌が有名なのは、太田道灌のエピソードとして語られているから。

鷹狩りの最中に、にわか雨に降られた道灌は、
近所の農家に立ち寄り、蓑を借りようとしますが、
家から一人の少女が出てきて、黙って山吹の花を差し出しました。
それは、山吹の「実」と「蓑」を掛け、
「我が家には蓑ひとつすらありません」という意味でした。

百三十三幕の扉絵が、ちょうどそんな感じなんですよね。
コミックス16巻のカバー見返しの解説によると、
鯉伴と乙女の出会いは、鯉伴がにわか雨に遭い、
乙女の居る小屋に偶然立ち寄ったのがきっかけでした。
乙女ちゃんも、「ウチには蓑はありません」ってやったのかな。
でも、鯉伴は、蓑を借りて雨の中を歩いて帰るより、
雨宿りして、雨が止むのを待つタイプじゃないかと。
ってゆーか、(無断)拝借癖のあるぬらりひょんの息子ですから、
本気で蓑がほしかったら、黙って持っていっちゃうでしょ。
蓑よりむしろ乙女ちゃんをお持ち帰り(笑)。

ちなみに、太田道灌が山吹の花を渡された場所は、
現在の埼玉県越生町あたりだそうです。
猩影の領地だね。

※越生は「おごせ」と読みますが、正直、私は読めません。
 逆だろって、ずっと思ってる。
 「生越」だったら、おごせと読めそうな気がするんだけど。


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